甲斐智枝美


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001 2015/11/22(日) 06:17:12 ID:kAEliKIxlU
智枝美ちゃん

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002 2015/11/29(日) 21:22:20 ID:PLEG.J04RA
可愛いのに

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003 2015/11/30(月) 14:24:52 ID:ETlW1dcvn2
プラッシーのCMでホースの水をビキニの胸元で受けるのを見てときめいた思い出。

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004 2015/12/30(水) 03:36:28 ID:G5BniYcE1A
甲斐智枝美

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005 2016/01/02(土) 23:26:35 ID:4b2wTgNOWU
>>1画像の顔、何となく広瀬すずっぽい。

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006 2016/02/11(木) 10:02:46 ID:047hLsRt7Q
甲斐智枝美

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007 2016/03/24(木) 19:39:32 ID:PYGZQu0Esw
甲斐智枝美

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008 2016/04/22(金) 14:32:14 ID:wtQwal2i96
確か’81年だったと思うが、ボムでヌードグラビアを見た時は死ぬほど驚いた。
何号かあとの読者コーナーで、編集が「甲斐ちえみの陥没乳首」ってコメントしてたのを見て鬼だと思ったw。

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009 2016/04/22(金) 21:38:18 ID:dSs8q17JCc
浜田朱里と並んで80年デビュー組では一番かわいかったけど、
同期に個性的なのが多くて目立たなくなってしまった。

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010 2016/06/01(水) 19:20:17 ID:E3fLo8DC8I
甲斐智枝美

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011 2016/07/14(木) 19:06:14 ID:I0Ctk8iZZw
甲斐智枝美

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012 2016/08/30(火) 19:16:25 ID:QOu43miNyY
甲斐智枝美

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013 2016/10/13(木) 20:34:07 ID:E8lwmzQY66
甲斐智枝美

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014 2016/11/25(金) 19:23:01 ID:zwlOMZe.eA
甲斐智枝美

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015 2017/01/09(月) 16:08:54 ID:Clj2kcd1Ys
甲斐智枝美

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016 2017/02/24(金) 18:17:27 ID:KFJrfVnJb6
甲斐智枝美

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017 2017/05/10(水) 19:09:39 ID:4FXEyYNNU2
甲斐智枝美

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018 2017/06/22(木) 18:36:20 ID:bRssVWo4fI
甲斐智枝美

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019 2017/08/10(木) 20:32:45 ID:J2dQlGkZRI
甲斐智枝美

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020 2017/09/26(火) 19:16:26 ID:R2AUieZEGU
甲斐智枝美

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021 2017/11/10(金) 22:48:33 ID:VHvyJOXQYA
ハリコの続きを貼っていきます。切り抜きで集めたので、確かな出典は分からない画像が多いです。
これは、近代映画の80年12月号か81年1月号でしょう。
12月上旬発売予定の別冊近代映画・河合奈保子特集号の文字広告が載っていました。
堀越学園は、この時代から土曜日が休みなので、時代を先取りしていました。
デビュー後、スケジュールがぎっしり詰まり、朝のホームルームぐらいしか出られないのは、
人気アイドルの宿命です。歌は期待されたほど売れなくても、アイドルとしての人気は高く、
当時は、コントを含めた歌番組が沢山あったので、歌番組への出演は沢山あったと思います。
デビュー後1年間は、ホリプロもプロモーションに力を入れていたのでしょう。
九州の地元の高校の方が授業が先に進んでいたので、堀越に転校した最初の頃はラクだったそうですが、
多分デビュー後の一番忙しい時期に、先に進んでいた貯金(授業)を使い果たしてしまったのでしょう。

ハリコに載せた4枚を、別ロダに載せて行きます。
これは多分、月刊平凡か月刊明星の81年1月号頃で、九州時代のクラスメートとの再会の記事です。
ttps://imgur.com/a/JwqMB  ttps://imgur.com/a/LeKwp

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022 2017/12/01(金) 11:12:47 ID:4yD1QhQDvE
なるほど!そうだったんですか

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023 2017/12/15(金) 13:56:06 ID:ZXQ5SWx.Kc
80年代トップアイドルで間違いないですな

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024 2017/12/16(土) 14:28:30 ID:zgrVmWoadg
>>10
ビニ本の表紙といった感じ

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025 2018/01/01(月) 23:48:52 ID:yrJFy4nN1.
甲斐智枝美

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026 2018/01/22(月) 00:32:29 ID:AED.QdIFHE
この画が好きだった

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027 2018/01/23(火) 23:38:27 ID:GX1LRVWkJU
映画fanの80年12月号の記事の、2ページ目〜3ページ目の右です。
1ページ目は、三原順子しか載っていないので、省略します。
「GO!GO!チアガール」に、三原順子とともに出演している時のインタビューが
載っています。チェミィはバスケットボールで、三原順子はバレーボールで鍛えた、
締まった脚が魅力的なんだと思います。(リアルタイムでは見ていなく、
再放送やソフト化も無いので、想像でしか言えませんが。)
ウィキによると、チアがまだ一般的ではなく、チェミィや順子、番組スタッフすら知らず、
日本で最初のチアリーダーの浅井直湖が、指導したそうです。
このドラマによって、日本にチアガール・チアリーダーと言った言葉が、普及しました。
インタビューでは、21と共に、チェミィの堀越学園での生活にも触れています。
ホームルームにしか出られなくても、同学年の友達に会えるのが楽しみだったのでしょう。
先生に色目を使わなくても、チェミィの元気で可愛い顔を先生が見て、
レギュラーにしたのかも知れません。ハリコに載せた、残り2枚です。
 ttps://imgur.com/a/3hHrb ttps://imgur.com/a/ISoaE

>>5
確かに広瀬すずに似ていますね。でもチェミィの方が、笑顔が素敵です。
広瀬すずは、映画「チア・ダン」で、チアリーダー演じていました。
何かの縁かも知れませんね。

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028 2018/02/19(月) 01:38:07 ID:uJK40bO96M
智枝美さんが出演していた武田薬品のプラッシーのコマーシャルで智枝美さんは白いレオタード姿になっているのですが、その時の智枝美さんは下半身は白いタイツを穿いているんですか?どなたさんでも構いませんので教えて頂けませんか?お願い致します。

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029 2018/03/04(日) 21:34:37 ID:zSPp4eRYTI
一日遅れになりますが、ひな祭り関係の座談会です。
切り抜きで集めたので、確かな出典は分かりませんが、月刊平凡か月刊明星の
81年4月号だと思います。3ページに渡って載っています。
ザ・ぼんちが、唯一のヒット曲「恋のぼんちシート」を歌っていた頃です。
智枝美は、一年半先輩の高見知佳や、一年先輩位のパティとともに、
三人官女に扮しています。

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030 2018/03/06(火) 23:08:07 ID:xz5kCGdjrg
>>10
52ページ?

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031 2018/03/07(水) 18:35:51 ID:3vgAOlaPCE
月刊平凡か月刊明星の81年4月号の、ひな祭り座談会の2ページ目です。
ひな祭りをやった事がない、家にヒナダンも無かったと言っています。
その分、この座談会でひな祭りを楽しんでいる、嬉しそうな笑顔です。

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032 2018/03/10(土) 16:53:06 ID:RiU0Nx27Us
月刊平凡か月刊明星の81年4月号の、ひな祭り座談会の3ページ目です。
「まわりの人が大人だから、考え方が大人っぽくなってきたの。」
これが、デビュー後1〜2年ぐらいで早々にアイドルを卒業してしまった理由でしょうか。
「できるなら、「恋のぼんちシート」みたいなヒットを飛ばしてみたいし。」
例え一発屋でも、大ヒット曲があれば、アイドル活動がもっと長く続いたと思います。
でもそれが、コミックソングみたいな曲だったら、
代表曲が名曲「スタア」でなくなるので、複雑な気分になったでしょう。

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033 2018/04/27(金) 23:52:11 ID:ZKzYU7Go6g
甲斐智枝美

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034 2018/06/01(金) 22:45:43 ID:Ui3ukJ1mio
西城秀樹さんが2週間ぐらい前に亡くなったので、
チェミィと秀樹さんの対談&フォトセッションを載せます。
切り抜きで集めたので、出典は分かりませんが、81年初め頃だと思います。
B5サイズの雑誌です。(近代映画かも知れない。)
ヒデキの「ファインダーと撮ろう」というシリーズの第一回ゲストが、チェミィでした。
「第一回はカワイコちゃんがいいなあ」というヒデキの希望で実現しました。
4ページある対談&フォトセッションで、1〜2ページ目は繋がる構図ですが、
切り抜かれ方が悪く欠落が多いので、繋げませんでした。
カワイコちゃんと沢山仕事をしてきたヒデキなので、
チェミィも、すごく可愛く撮れています。
今は、二人とも他界してしまいました。
天国で、フォトセッションを楽しんでいる事でしょう。

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035 2018/06/04(月) 22:40:25 ID:9DUb7MoRTk
チェミィと秀樹さんの対談&フォトセッションの、2ページ目です。
フォトセッションにちなんだ、チェミィのポエムのような直筆メッセージが載っています。
下の、木の株に腰掛けているチャミーも、可愛いです。

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036 2018/06/08(金) 23:24:27 ID:FV6UiDCbhs
チェミィと秀樹さんの対談&フォトセッションの、2ページ目です。
女の子を撮るのは初めてという秀樹さんですが、
「恋を夢見てる少女の恥じらい」や「ハニカンだ可愛さ」という意図通りに撮れています。
被写体のチェミィが、良いのでしょう。

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037 2018/06/13(水) 21:37:16 ID:7lZUvluTrM
↑36の訂正:2ページ目→3ページ目

チェミィと秀樹さんの対談&フォトセッションの、4ページ目です。
白いセーターと白いマフラーは、ヒデキの希望だそうです。
アイドルと沢山仕事をしてきたので、清純派アイドルに似合うファッションが分かるのでしょう。
チェミィが小学生の頃から、大スターとして活躍していたヒデキ。
歌番組等のテレビでの共演とは違い、写真を撮る側と撮られる側が面と向かう関係なので、
いつもよりチェミィが緊張しているのは、当然だと思います。
それを察したヒデキが、「体だけこっちむいて 目線をさげようか」と言って、
出来たベストショットが、34に載せた1ページ目なのでしょう。
「かわいい。女の子撮るの初めてだけど、こうしてレンズから見ると女の子ってかわいいねえ。」
チェミィのように可愛い娘は、より可愛く撮れるのでしょう。
(当時のフジカラーのCMにも、ありましたね。)

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038 2018/07/31(火) 22:15:34 ID:7jvx0JQ4Rk
月刊平凡の81年8月号の、1ページ目です。
ウェストが3cm細くなり、体重も1キロ減ったのに、バストが2cm増加して
84cmになったと、プロポーションが良くなった事をアピールしている文章です。
6月21日発売の5thシングル「Si! Si! C!」のプロモーションを兼ねた
発言なのでしょう。 シングルのジャケットは、ビキニを着て、
胸を寄せているバストショットでした。
当時はテニスブームだったためか、テニスで汗をかいている姿が載っています。
アイドルにテニスをさせるのは、山口百恵から続くホリプロの伝統でしょうか。
個人的には、左上の靴紐を持っているカットの方が、可愛くて好きです。

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039 2018/08/03(金) 10:13:50 ID:JqMAUlxHNY
12インチのピクチャーレコード、フォーレターズについていたポートレートの4枚の中で最も好きな1枚です。
ところで2ndアルバムであるヴィーナスには初回特典としてB2サイズの水着ポスターがついていたのですがお持ちの方はいませんか。
中古レコードは何枚も買ったのですが未だに見たことがありません。

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040 2018/08/03(金) 10:19:57 ID:JqMAUlxHNY
>>28

この2つ目の動画ですよね。
http://chiemikai.blog.fc2.com/blog-entry-24.htm...

どう見ても白いタイツを履いていると思いますが。

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041 2018/08/08(水) 00:12:34 ID:AAa6coUNMM
月刊平凡の81年8月号の、2ページ目です。
テニスで汗をかいた後は、シャワーを浴びるという設定なのでしょう。だから不自然な
水着ではなく、タオルを巻いている姿が自然で、正統派アイドルらしさを感じます。
笑顔になると目尻が下がって可愛くなる表情は、石野真子→チェミー→キョンキョンへと
繋がる、ビクターの正統派アイドルの系譜を感じさせます。
可愛い両目の間隔が少し開き気味なのは、70年代のトップアイドルである山口百恵・
桜田淳子と共通しています。なのに何故チェミーだけ、レコードが売れなかったのか?
それは80年という特殊な年にデビューした事が、その一因でしょう。
77〜78年にデビューした榊原郁恵・石野真子は、ベストテンヒットが1曲のみ。
大場久美子は、最高位44位でした。チェミーには、レコードが売れなくても、
ブロマイドやグラビア人気が高いという、この3人と共通している面がありました。
新人アイドル不毛の79年を経て、80年は松田聖子のみが大ブレイクしました。
一直線に伸びて行きながら可愛らしさも同居している松田聖子の歌声は、70年代後半
途絶えていたアイドル本来の魅力を取り戻し、80年代アイドル黄金時代の先駆けとなりました。
河合奈保子は81年夏から、柏原よしえは81年末から大ヒットが出ました。
チェミーも、柏原よしえと同じぐらい歌手活動に力を入れ続けていたら、
大ヒットを連発していたかも知れないと思うと、残念です。

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042 2018/08/08(水) 03:29:42 ID:j/qwIBUKV2
>>39
画質悪いので申し訳ありませんが、このポスターでした。
この赤いビキニ、これでしか見たことないですね。
ビクターには別ショットがあるのでしょうか

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043 2018/08/08(水) 22:33:01 ID:0k/VHVtzu2
>>42

この赤いビキニ姿が2枚目のアルバム『ヴィーナス』の初回特典だったんですね。
情報ありがとうございます、心から感謝いたします。

>>43

1980年デビュー組が特殊環境だった事はたしかですね。
それにしてもデビューわずか2年でヌードというのは誰が決めたのか知りませんがひどすぎます。
写真集発売は1982年6月でしたが実際にスペインでの写真撮影は4月でしたから実質デビュー1年10ヶ月高校卒業と同時、まだ18歳だったんですから。
もう少し時間が欲しかったと思います。
テレビCMともコラボした『Si!Si!C!』の次のシングル曲が地味な『枯葉天使』だったのも悔やまれます。

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044 2018/08/08(水) 22:49:42 ID:0k/VHVtzu2
上の
>>43



>>41

の間違いです、失礼しました。

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045 2018/08/12(日) 00:19:05 ID:zFBR.mJKLw
切り抜きで集めた記事です。81年8月号の頃だと思います。
「この頃、色っぽいって言われないと満足しないの。」早くもアイドル卒業を匂わせる発言です。

スター誕生の第29回決戦大会でグランプリを取り、デビューしたチェミー。
スター誕生は、元々60年代〜70年代前半に全盛を極めた渡辺プロに対抗するため、
テレビ局主導でスター(アイドル)を作るために出来た番組です。
70年代は、スター誕生の池田チーフプロデューサーと審査委員長の阿久悠を主体とし、
レコード会社と組んで、芸能事務所の力に頼らずに、アイドルを量産していました。
70年代末になると、池田プロデューサーが去り、その体制が崩れました。
番組の顔だった司会の萩本欣一は、チェミーが合格した時、司会を辞めます。
80年代に入ると、衰退した渡辺プロに代わり、ホリプロ・サンミュージック・バーニングプロ等、
新たな芸能プロが力を持ち始め、再び芸能プロ主導のアイドル量産体制が復活します。
ホリプロがスカウトキャラバン優勝者を、チェミーより優遇するのも、時代の流れでしょう。

>>43
確かにデビュー2年後の19歳になるかどうがという時に、ヌード写真集発売というのは、
過去に例のない事でした。渡辺プロから78年にデビューした石川ひとみは、
デビュー2年後の雑誌でヌードになっていますが、既に20歳でした。石川ひとみは、
その翌年に「まちぶせ」を大ヒットさせたので、その例に習おうとホリプロが考えたのでしょうか。

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