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スーパー写真塾の85年8月号の、インタビューの5ページ目です。
女子プロレスリングに入る事を、親に勧められたそうです。「それが芸能界に入る近道だ。」
と言う親でしたが、芸能界入りに対しては、地元の高校に通う事を条件にしていました。
89年の深野晴美がMVPを獲った水泳大会の棒倒しの時は、攻撃してくる相手チームへの
反撃がすごかったです。中学校までは男の子とばかり遊んでいたからでしょう。
女優(演技する事)が嫌いで、歌手が好き。好き嫌いと、得手不得手は、一致しないものです。
88年のソロデビュー曲「土曜日のアマン」は名曲だと思いますが、その頃、
女優業への道へ進んでいたら、トレンディドラマに欠かせない女優になっていたかも知れません。
89年末に「OH!エルくらぶ」に出演していた時のキャラは、トレンディドラマにピッタリでした。
シブがき隊のヤッくんが好きで、ラジオに出したハガキを読まれて、ハンカチをもらったのだから、
相当のファンだったのでしょう。「そのハンカチそのまま封筒に入ってる。誰にもさわらせてない。」
ファン心理が伝わります。その後、86年正月のレコード会社対抗運動会の時は、深野晴美が
ヤッくんのファンだという事を、ヤッくん本人が知ってて、深野晴美の前をウロウロしていたそうです。
寒い時にプールの撮影があって、「終わってすぐお風呂に入ったんだけど、
すっごく気持ち悪くなって、ゲロはいた。」とか、風邪引いててもビキニで
海に入らなければならなかったり、水着グラビアの撮影は、過酷な仕事です。
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